ヒップホップ誕生50年と、日本企業の多大な貢献

ターンテーブルとミキサーに手をかけるDJのイメージ写真

今年はヒップホップ誕生50年。1973年の8月11日にジャマイカ出身のDJ、クール・ハークが、ニューヨークのブロンクス区で妹の誕生日パーティを行ったことが起源とされており、全米で関連イベントが大々的に行われるなど、大きな盛り上がりを見せているようです。

アメリカにおいてヒップホップカルチャーは巨大産業となっており、ドレイク、ケンドリック・ラマーなど、世界的なアーティストを生み出す最大のジャンルとなっていますが、日本では、言語の壁があるため、盛り上がりにかなり温度差があるように見受けられます。日本人のヒップホップ・アーティストも、昔と比べれば随分とポピュラーな存在となりましたが、まだまだマニアックなジャンルという印象は拭えません。

一方で、実はヒップホップの成り立ちに日本の企業がどれほど貢献しているのか、日本を差し置いて今のヒップホップは成り立たなかった、ということはあまり顧みられません。

ヒップホップ誕生以前、ブロンクスで遊んでいた若者は、道端にラジカセを持ち出して、音楽に合わせて踊っていたんだそうですが、日本製のラジカセが、当時の彼らの一家に一台はある代物だったということで、ヒップホップの起源となる「ブロックパーティ」の誕生は、日本が生み出した安価なラジカセがそのきっかけを作ったと言っても過言ではないのではないでしょうか。

また、先のクール・ハークが「ブレイク・ビーツ」と呼ばれるテクニックを生み出したのも、日本メーカーがなければ生まれなかったかも知れません。蓄音機と呼ばれていた頃のレコードプレーヤーは、レコードを乗せるターンテーブルを歯車で回転させていました。その後、レコードがSP盤から今のビニール製のレコードになるにつれ、より高い精度が必要とされ、改良が重ねられていきました。ターンテーブルにベルトをかけ、連動させたモーターで回転させる「ベルトドライブ」という機構は、今でも高級プレーヤーの主流ですが、ヒップホップにとって重要なのは、1970年に誕生した「ダイレクトドライブ」という機構のプレーヤーです。これは、ターンテーブルをモーターが直接(“ダイレクト”に)回転させます。ブレイク・ビーツは、二台のプレーヤーに同じレコードを乗せて、演奏中のドラムのビートだけの部分、つまり“ブレイク”を交互に続けてかけることで、ビートだけを延々流し続けるテクニックです。

このブレイク・ビーツに乗せて踊るブレイク・ダンス(彼らの呼称である“Bボーイ”の“B”も“ブレイク”が由来)、バックにライムするラップ、壁に絵を描くグラフィティ……と、全てがブレイク・ビーツをベースとするわけですが、ダイレクトドライブを初めて発明・商品化したのは、他でもない、今のパナソニックのオーディオ部門であるテクニクスでした。レコードを擦って特殊な効果を生み出す「スクラッチ」も、テクニクスなくしては生まれなかったかも知れません。

その後も、録音した音素材を演奏に取り込む「サンプリング」に使用したサンプラーにおいても、Roland、AKAI、CASIOといった日本メーカーの製品が大活躍。日本のメーカーにはそんな意図はなかったにせよ、当時のアメリカのストリートに暮らす若者にとってのアイデアの源泉は、日本にあったのです。

どうです?普段はヒップホップをあまり聴かないというあなたも、ちょっと聴いてみようかな、と思ったんじゃないですか?そんなあなたにおすすめのレコードは、RUN DMCの1986年の作品「RAISING HELL」。AEROSMITHとのコラボでも有名な“Walk This Way”やアディダス賛歌“My Adidas”が収録された名盤です。わたしも当時のLPを持っているんですが、ジャケットに貼られたステッカーには、こんなコピーが書かれています。

「BUY THIS RECORD OR ELSE…」