電車内のデジタルサイネージの「テレビ化」は、正しい進化なのか?

Adobe Fireflyで生成した、デジタルサイネージが並ぶ電車内の写真

わたしたちは大阪にオフィスを構えたデザイン会社ですので、社員は大阪市内のオフィスに出勤するために、関西圏を走る鉄道を毎日のように使っています。阪急、JR西日本、近鉄、京阪などなど……。

どの鉄道会社も、車両の老朽化に伴って新たな車両に置き換わりますが、ここ数年で、新車両は車内にデジタルサイネージが設置されているケースが増えています。列車の運行状況や沿線の観光情報、企業CMなどが流れています。鉄道を利用される多くの方がスマートフォンに目を奪われるため、企業も車内に掲示されているポスターなどの紙広告を出稿するケースが徐々に減ってゆき、ポスターよりも乗客の目を惹くことのできる動画へと移行していく流れがあるようです。

そうは言っても、関西を走る鉄道の多くは「サイネージが増えつつある」ぐらいの状況で、通勤の際にいつでもどこでも目にするというほどの頻度ではないのですが、首都圏近郊を電車で移動していると、サイネージを目にしないことがありません。最近何度か東京方面に出かける機会があったのですが、その差は歴然でした。

関西の車内でサイネージを目にするとすれば、出入り口のドアの上か座席が並ぶ中央あたりの天井から吊られたものがせいぜいですが、首都圏内のJRの最新車両だと、ドア上はもちろん、座席の上部に横数メートルの細長いサイネージ、さらには車両のつなぎ目のドアの上にもあり、車内のどの場所にいても自然とサイネージの動画が目に入ってくるような配置になっています。

乗客の様子を見ていると、スマホに目を落としている人が半分以上でしたが、何をするでもない人、複数人で会話している人も2、3割はいる印象でした。その人たちは、時折目線が斜め上に、つまりサイネージに目が行っている様子でした。会話しているカップルや友人同士でも、話の合間にふと目線が上がっているのです。

これは確かに広告効果が高いでしょう。それを見込んでか、鉄道会社も車内サイネージ向けのオリジナルコンテンツを作っているほどです。コンテンツもなかなか興味深く、最初は感心していたのですが、そのうちうっすらと違和感を覚えるようになってきました。

東京周辺に数日滞在する間、電車内にいる時間は数時間に及びましたが、サイネージで流れるCMにしてもサイネージ向けコンテンツにしても、 1本あたり長くてせいぜい1分です。本数もそれほど多くない(広告効果が薄れるので広告枠も絞っているはずです)ので、当然ながら同じものが繰り返し流れてくるのです。これが紙のポスターであれば、動きがないので視界の端に入ってきてもそれほど気にならないのですが、映像の方は、とにかく気を引こうと終始動き続けています。それも、車両の一角にあるだけなら背中を向けていればなんとか回避できるかもしれませんが、JRの最新車両の場合は、どちらを向いてもサイネージが目に入ってきます。

逃げ場といえば「下」、つまり「スマホ」ということになってしまうのです。サイネージのコンテンツの充実は、スマホに目を奪われる乗客の視線を集めたいという意図もあると思うのですが、これでは逆効果ではないでしょうか。

わたしは、病院や飲食店などにあるテレビが苦手です。こちらが見たいと思っていないのに視界に動画が入ってくると、見たくなくても半強制的に目線を引っ張られてしまうからです。おそらく人間には、動きのあるものに注意を働かせる本能があるのではないかと思うのですが、わたしは20年以上テレビを見る習慣から離れているので、特に目線を引くための演出に長けているテレビのコンテンツにより強く反応してしまうのかもしれません。

鉄道会社は、快適な車内環境の構築を目指して、空調などの設備や乗客のマナー喚起などを行っていますが、その「快適な車内環境の構築」のためにあるはずのデジタルサイネージが、サービス過剰なために逆効果にならないか、鉄道会社の今後の舵取りが少し心配です。