iPad Proの「Crush!」は、初期iPodプロモーションにおける「焦り」と似ている

iPad、iPhone、iPodが黒バックの前で背中を向けて並んでいる写真

アップル社によるiPad Proの過激なCM動画が話題となりました。

「Crush!」と呼ばれているこの動画、楽器やモニター、インク缶、カメラ、ゲーム機などなど、山と積まれた様々なメディアやクリエイティブなツールがプレス機で押しつぶされる様子を、約1分かけてじっくりと見せて、つぶし終わった後でプレス機が開いていくと、そこには一枚のiPad Proが残っていた、というもの。iPad Proにどれだけ多くの機能が凝縮されているかを視覚的に見せた表現です。しかしその表現は、それらのツールを愛する多くの人々からの反感を買い、結果、アップルが謝罪をするまでにいたりました。

「iPad」の登場は2010年。当時はまだタブレット端末の市場もなかった状況で、「大きなiPhone」とも揶揄されたiPadは賛否両論もありましたが、今やタブレット端末はプライベートでもビジネスでもあらゆるところで利用され、その中でもiPadは最も完成されたシリーズとして今も第一線で活躍し続けています。

十数年のキャリアと実績を積み上げ、iPad mini、iPad Proとラインナップを広げていますが、そのセールスポイントはと言えば、実は今もあまり変わっていません。発売当初と比べて多機能・高機能になってはいますが、大まかには「初代iPadと大差がない」のです。

もっと言えば、訴求の切り口が、実は音楽プレーヤーである「iPod」の時代から変わっていないのです。正確な記憶ではなく恐縮ですが、第2世代iPodが発売された2002年ごろ、店頭のポスターに「ジミヘンとボブマーリーのアルバムが全部入る」というようなコピーが、彼らの写真とともに掲げられていました。わたしは「ずいぶん下世話なコピーだな」と思ったものです。当時愛用していた初代iPodに、それまでの音楽体験をガラッと変えられたほどのインパクトを受けた身としては、そんなとてつもない革命的な商品の宣伝文句としては、なんとも俗っぽいものに見えたからです。

今回のiPadも、言ってることの本質はほとんど同じです。つまりiPodだろうとiPadだろうと、要するに「小さなボディに目一杯入る」ということに終始している、というか、それしか言いようがないということです。おそらく、アップルの宣伝担当は悩みに悩んだことでしょう。当たり前すぎてもはや言うまでもないような「小さなボディに目一杯入る」を謳って関心を引くなんて、今さらどんなコンテンツを作れば新鮮に映るのでしょうか。

しかしアップルなら、ごくシンプルに筐体だけを見せ、スタイリッシュに表現するだけで「何も言わない」という手段も取れたはずです。世界的超大企業の、超大ヒット製品のニューモデルですから、何も言わなくても注目は集まることでしょう。それでも、過激な表現をしてまで注目を集めたかったのはなぜでしょうか。

タブレット市場において、アップルのシェアは、iPadの登場以降常に世界一。一度もその王座を譲ったことがありません。しかし、タブレット市場自体は縮小傾向にあり、昨今の生成AI競争やそれに伴うAndroid勢の活性化など、今や横綱相撲を悠然と取れる立場ではなくなっているのです。

それこそ、第2世代iPodの宣伝が上記のような下世話な内容だったことも、現在のアップルの「焦り」と関係していたのです。今となってはあまり顧みられませんが、初代iPodはあまり売れていなかったのです。「それまでの音楽体験をガラッと変えられたほどのインパクトを受けた」と書きましたが、それはわたし個人の話。当時すでにMP3プレーヤーは世の中に存在していたし、初代iPodはWindowsに非対応でした(Macユーザー自体も今よりはるかに少なかったはずです)から、周りを見渡しても、iPodを使っている人など誰もいなかったのです。周りの人たちがiPodを使うようになるのは、2005年のiPod shuffle以降です。俗っぽいプロモーションの原因には、肝煎りで登場させたiPodという新たなデバイスが市場に受け入れられていないことに対する「焦り」があったのだと思います。

つまり、アップルとしては、「スタイリッシュに表現する」などと格好つけている場合ではないということです。「ジミヘンとボブマーリーのアルバムが……」と音楽ファンに具体的な利便性を伝えることでなんとか売り上げを伸ばそうとしていた20数年前のように、「ゲームも映像も楽器も、何もかもが全部入る」ことを、インパクトを持って伝えられる手段を探しに探した結果、「プレス機で圧縮する」という結論に至ったのでしょう。その表現が、iPodの時は下世話に、iPad Proでは過激に出てしまった、ということではないでしょうか。

ティム・クック体制に代わって十余年。ここまで順調に成長を続けているように見えていたアップルは、今、「焦っている」のかもしれません。