高フレームレート化の問題:映画のリアルさと臨場感のジレンマ

写真フィルムのイメージ

映像の世界では、技術向上に伴って日々クオリティが更新され続けていますが、映画において一部議論になっているのは、「高フレームレート化による生々しさ」の問題についてです。

通常、映画のフレームレート、つまり「1秒あたりのコマ数」は24コマ(fps=frames per second)です。これがテレビなどでは約30コマ(厳密には29.97コマ)です。昨今のゲーム、特にアクションゲームなどでは、動きの滑らかさ、反応のシビアさを追求するために、60コマが求められています。

映画の世界でも、よりリアルな映像を実現するために、一部の作品でハイフレームレートが導入されることがありますが、世間の評価は賛否両論です。

実際に見比べてみるとわかるのですが、同じ映像を30コマと60コマで見比べてみると、60コマの映像は、「リアル」なのですが、そのリアルさは「まるでスタジオにいるみたい」なリアルさなのです。

スタジオで撮影の現場に立ち会った方ならお分かりになると思いますが、セットを組み、照明を当て、カメラを構えた「生」の状態を肉眼で見ても、普段テレビや映画で見るような映像としての「リッチさ」や「深み」はなく、カメラ越しに捉えられたモニターのプレビューを見るとようやく「映像らしく」見えるものです。

つまり、60コマにすると「スタジオで撮影の現場に立ち会ったような臨場感」があるのですが、それは、本当に自分が求めている映像体験なんだろうか……ということです。

映画であれば、あたかもその映像の世界が現実であるかのように錯覚し、俳優が演じる役柄に感情移入することで、手に汗握り、感動し、涙するのだと思いますが、60コマの映像を見ていると、あまりに生々しすぎて「あ、ここはスタジオなんだな」「あ、これは俳優が演じてるだけなんだな」「あ、照明がこの辺から当てられてるな」と、現実に引き戻されてしまいかねないのです。個人的には、テレビショーのようなチープさを感じてしまい、映画としての魔法が解けてしまったような感覚になりました。

アニメーションの場合だと、「リミテッドアニメ」と呼ばれる、元々は省力化・省コスト化のために行われた技法があります。日本におけるリミテッドアニメのコマ数は1秒あたり8コマという少なさ。しかし、コマ数の制限の中で豊かな表現ができることを、宮崎駿に代表される日本のアニメーターたちは証明しました。実写やCGで描かれる「現実に忠実」な絵ではなく、コマ単位で見ると、手足をグニャッと曲げたり書き込みが足りなかったりするのですが、つなげて再生すると、それが実写やCG以上のブラー感、スピード感を生み出しているのです。

60コマの映画に「魔法が解けてしまう感覚」を受けてしまうのは、幼い頃からリミテッドアニメを観ていた日本の少年だったわたしにとって、まさに「日本のアニメーターにかけられた魔法」が、解けてしまうからなのかもしれません。