なぜサーキットから消えた?F1マシンを彩ったタバコスポンサー

2015年 F1日本グランプリにデモランが行われ、ゲルハルト・ベルガーがドライブしたマクラーレンMP4-6の画像

2015年F1日本GP:デモラン(鈴鹿サーキット) ホンダ・マールボロ・マクラーレン MP4/6(1991年) :ゲルハルト・ベルガー
1991年に日本GPで優勝を果たしたゲルハルト・ベルガーがドライブ。
国際放送がされなかったのか、当時のカラーリングのままで駆け抜けました。

赤白の「マールボロ」カラーに彩られた「音速の貴公子」アイルトン・セナの時代

私は、F1ブームから30年以上続けているF1ファンです。テレビを通してF1の世界に引き込まれ、ブームが去った(イモラの悲劇※)後、1995年からは毎年鈴鹿サーキットで現地観戦を続け、近年ではカメラマンエリア席でカメラを構え観戦しています。

1980年代後半から1990年代前半にかけて日本を熱狂させたF1ブーム。その中心には、1987年に34歳にして日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋悟と、カリスマ的人気を誇ったアイルトン・セナの存在がありました。

F1の成功と発展を支える重要な存在こそ、まさにスポンサーです。マシン開発費からレース運営に至るまで、F1はスポンサーの多大な支援なしには成り立ちません。スポンサーにとっては、世界中の視聴者にブランドをアピールするための効果的な手段となっています。本稿では、F1におけるプロモーションとスポンサーの変遷について書いてみたいと思います。

イモラの悲劇:F1史上最悪の週末
1994年5月1日、イタリアのイモラ・サーキットで開催されたF1サンマリノGPでの事故を指す言葉。金曜日のフリー走行でルーベンス・バリチェロがウォールに激突するアクシデントで幕を開け、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーの死亡を含む、悲劇的な出来事でした。

アイルトン・セナ
ブラジル出身、1984年から1994年までF1に参戦しました。4度のワールドチャンピオンに輝き、その卓越したドライビングテクニックとカリスマ性で、世界中のファンを魅了した伝説的人物として知られています。

F1の発展に大きな影響を与えた、タバコブランドのスポンサーシップ

20世紀後半、タバコメーカーはF1チームにとって主要なスポンサーとなり、その影響はF1の発展に大きく寄与しました。例えば、フィリップ・モリス社が販売する「マールボロ」は、1972年からフェラーリの主要スポンサーを務め、チームのカラーリングやロゴに大きな影響を与えました。また、アイルトン・セナがドライブしていたマクラーレンも彼らの支援を受けていました。ホンダがF1チームを所有した時期も、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社が「ラッキーストライク」ブランドで支援していました。日本からも、日本たばこ産業(JT)が「キャビン」と「マイルドセブン」のブランドでスポンサー参入していたことがあります。

これらのタバコブランドのスポンサーシップは、公開されていませんが年間約10億円から300億円程度と推測されています。チームにとって重要な資金源であり、これにより、技術開発や競争力の向上に大きく貢献しました。

F1におけるタバコ広告禁止:2006年のEU規制がもたらした転換点

2000年代に入ると、健康被害に関する認識が高まり、各国でタバコ広告の規制が強化されました。F1も例外ではなく、2006年に欧州連合(EU)がスポーツイベントでのタバコ広告を全面的に禁止したことで、タバコ会社のスポンサーシップがF1から消えた瞬間は、F1にとって大きな転換点となりました。

2006年 日本グランプリ。ミハエル・シューマッハがドライブしたスクーデリア・フェラーリ・マルボロ248F1の画像

2006年F1日本GP(鈴鹿サーキット):スクーデリア・フェラーリ・マルボロ 248F1 :ミハエル・シューマッハ

タバコ広告禁止という逆風に立ち向かったF1チームの独創的な解決策

厳しい状況の中で、各チームは独創的な解決策を編み出しました。中でも、フェラーリは逆境に屈することなく、独創的な解決策を次々と打ち出しました。

バーコード処理

2005年6月以降(ドイツGP・ハンガリーGP・ブラジルGP・日本GP・中国GPを除く)
2006年(バーレーンGP・マレーシアGP・オーストラリアGP・モナコGP・中国GP・日本GPを除く)
2007年(バーレーンGP・モナコGP・中国GPを除く)
2008年、2009年、2010年4月まで

斬新な方法として、タバコブランドロゴ部分にバーコード模様の絵柄が掲げられました。実際に読み取れるかどうかについては、F1関係者や専門家の間でも意見が分かれています。

2009年 日本グランプリ。ジャンカルロ・フィジケラがドライブしたスクーデリア・フェラーリ・マルボロ F60の画像

2009年F1日本GP(鈴鹿サーキット)スクーデリア・フェラーリ・マルボロ F60 :ジャンカルロ・フィジケラ

しかし、バーコードはサブリミナル広告に当たるとの指摘から撤去させられることになりました。

スポンサーロゴの空白化

2010年5月~最終戦(スペインGP・モナコGPは白枠赤の四角、トルコGPではF1参戦800戦記念ロゴ「800」が掲げました。)
2020年(トスカーナGPではF1参戦1000記念ロゴ「1000」が掲げました。)
2021年(フランスGP・シュタイヤーマルクGP・オーストリアGP・イギリスGP・ハンガリーGP・ベルギーGP・オランダGP・イタリアGP)

次に最もシンプルな方法は、タバコロゴ部分を空白にすることでした。フェラーリは、フィリップ・モリス社との協議の結果、誤解を招く恐れがあるものは全て取り除くことにしたと発表しました。

2010年 日本グランプリ。フェリッペ・マッサがドライブしたスクーデリア・フェラーリ・マールボロF10の画像

2010年F1日本GP(鈴鹿サーキット)スクーデリア・フェラーリ・マールボロ F10 :フェリペ・マッサ

スクーデリア・フェラーリの新しいロゴ

2011年~2017年

2011年、フェラーリは新ロゴを発表しました。チーム名は当初「スクーデリア・フェラーリ・マールボロ」のままでしたが、フィリップ・モリス社とのスポンサー契約は続いていたものの、タバコ広告の規制が厳しくなったため、同年のイギリスGPからチーム名からタバコブランド名「マールボロ」が取り除かれ、「スクーデリア・フェラーリ」となりました。

2011年 日本グランプリ。フェルナンド・アロンソがドライブしたスクーデリア・フェラーリF150の画像

2011年F1日本GP(鈴鹿サーキット)スクーデリア・フェラーリ F150:フェルナンド・アロンソ

バーチャルブランドの導入

2018年、2019年
2021年(バーレンGP・エミリアロマーニャGP・ポルトガルGP・スペインGP・モナコGP・アゼルバイジャンGP・ロシアGP・アメリカGP・メキシコシティーGP・サンパウロGP・カタールGP・サウジアラビアGP・アブダビGP)

フィリップ・モリス社が「Mission Winnow」という新しいプロジェクトを立ち上げ、そのロゴが掲げられました。「Mission Winnow」は、フィリップ・モリス社が展開するグローバルイニシアティブであり、同社の未来志向のビジョンと変革を反映しています。このプロジェクトは、従来のタバコ製品から無煙製品への移行を推進し、より健康的な選択肢を提供することを目的としています。

2018年 日本グランプリ。キミ・ライコネンがドライブしたフェラーリSF71Hの画像

2018年F1日本GP(鈴鹿サーキット)スクーデリア・フェラーリ SF71H :キミ・ライコネン

しかし「Mission Winnow」のロゴは、「マールボロ」のロゴを連想させるという指摘うけ、撤去。

中には、F1ファンであればタバコのロゴを思い浮かべることを狙い、ブランドロゴの代わりにチーム名やドライバー名に置き換えたチームもありました。これらの解決策は、タバコ広告禁止という逆境を乗り越え、チームたちは創造性を発揮し、新たなスポンサーシップの形を模索しました。これらの独創的な解決策は、F1史に残る貴重なエピソードと言えるでしょう。

形を変えた継続的なパートナーシップ

一部のタバコブランドは、F1との関わりを依然として続けています。フェラーリはフィリップ・モリス社との関係を維持し、直接的な広告は行わないものの、間接的なマーケティング活動やプロモーション活動を通じて協力関係を築いています。近年では、加熱式タバコや電子タバコといった新しい製品が登場し、これらのプロモーションが行われています。これは、企業が伝統的なタバコから離れ、健康的な代替品を提供する姿勢を示していることを意味します。

タバコブランド撤退後のスポンサー状況

タバコブランド撤退後、F1のスポンサー状況は大きく変化しました。主な変化は以下の通りです。

自動車メーカーの参入
メルセデス、フェラーリ、ルノー、ホンダなどの自動車メーカーが主要スポンサーとして参入することが増えました。これらのメーカーは、F1を自社のブランドイメージ向上や最新技術の宣伝に活用しています。

IT企業の台頭
近年では、IT企業もF1のスポンサーとして参入する動きが活発化しています。Oracle、SAP、AWS、hpなどの企業は、F1の膨大なデータ分析や最新技術を活用したマーケティング活動に注目しています。

地域別スポンサーの増加
従来の欧米企業に加え、中国、中東などの地域企業もF1のスポンサーとして増加しています。これは、F1のグローバルな人気拡大を反映したものです。

エネルギー飲料
エナジードリンクメーカーであるレッドブルは、F1を含むスポーツ界において、積極的にマーケティング活動を展開している企業である。単にスポンサーになるだけでなく、F1では自らのチームも所有し、積極的にチーム運営にも携わっている。姉妹チームのスポンサーにもなっています。2024年にはフェラーリにセルシウス、マクラーレンにモンスターエナジーがスポンサーとして参入しております。


金融サービスと暗号通貨の進出
クレジットカード会社(VisaやAMEX)、銀行などがチームやレースのスポンサーとなり、ブランド露出を図っています。さらに、仮想通貨取引のプラットフォームを提供するBuybitもスポンサーとして参入しており、革新的なマーケティング手法を取り入れています。

2022年 日本グランプリ。シャルル・ルクレールがドライブしたスクーデリア・フェラーリF1-75の画像

2022年F1日本GP(鈴鹿サーキット)スクーデリア・フェラーリ F1-75 :シャルル・ルクレール

2021年から、アマゾンのクラウドサービスである「Amazon Web Services (AWS)」がフェラーリのスポンサーとなり、技術的なサポートやデータ分析の分野で協力 し、マシンやドライバーのスーツにロゴが掲載されています。2024年4月24日、アメリカの電機メーカーである「HP(HP Inc.)」との複数年にわたるタイトルパートナーシップを発表した。

2024年 日本グランプリ。オスカー・ピアストリがドライブしたマクラーレンF1チームMCL38の画像

2024年F1日本GP(鈴鹿サーキット)マクラーレンF1チーム MCL38 :オスカー・ピアストリ

2022年から、グーグルのブランドである「Android」と「Chrome」がマクラーレンのスポンサーとなり、ホイールカバーには「Chrome」のカラーリングが施される。マシンやドライバーのスーツにロゴが掲載されています。ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社の電子タバコブランドである「Vuse(ビューズ)」がスポンサーをしています。

2024年 日本グランプリ。マックス・フェルスタッペンがドライブしたオラクル・レッドブル・レーシングRB20の画像

2024年F1日本GP(鈴鹿サーキット)オラクル・レッドブル・レーシング RB20 :マックス・フェルスタッペン

2022年から、アメリカのソフトウェア大手である「オラクル」を新たにタイトルスポンサーに迎え、技術的なサポートやデータ分析の分野で協力 し、マシンやドライバーのスーツにロゴが掲載されています。2024年1月24日、アメリカの決済ブランドである「Visa」はオラクル・レッドブル・レーシングと角田裕毅が所属するビザ・キャッシュアップRBの両チームの初のグローバルパートナーとなりした。

近年の変化と未来への展望

F1のプロモーションとスポンサーシップは、その時代を映す鏡のように、常に社会や技術の変化と共に進化してきました。黎明期には自動車メーカーが中心スポンサーでしたが、時代とともにタバコやアルコール、近年ではITやデジタル企業が主要なスポンサーへと移り変わってきました。2026年のレギュレーションの変更が発表され、持続可能な燃料への移行も予定されており、環境問題への関心の高まりを反映しています。

角田裕毅選手の2025年までの契約延長のように、若い世代のファン獲得にも積極的な取り組みも見られます。近年ではSNSを活用した情報発信など、新たなファン層を取り込むための試みも活発化しています。

このように、F1は常に時代の先端を走り続け、新しい試みに挑戦するスポーツであり続けています。今後も持続可能性や多様性といった現代社会の重要課題を取り入れながら、さらなる発展を遂げていくことでしょう。