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あなたにとっての、「濃い欲望」はなんですか?

シネファボのロゴ画像
映画館のお気に入りの座席をシェアするウェブアプリ「シネファボ」

あなたにとっての、「濃い欲望」はなんですか?

黒の背景に虹色に揺らぐ炎のようなパターン
「人生で何かをうまくやって、それで満たされたときのことを話してください」

あなたにとっての、「濃い欲望」はなんですか?

ブランディングの概要を箇条書きしたテキスト
「アクティベーション」とは「ブランディング」の復権?

「広告だけでは売りにつながらない。販促だけでも、短期的な売りだけではクライアントの課題解決にならない」そんな時代に必要な「アクティベーション」とは?

カラフルなテントとたくさんの人々で賑わう海外の市場の写真
「シン・リベンジ消費」を読み解き、非合理な社会を生き抜く

昨今の街の賑わいは、コロナ禍を忘れさせてくれますが、人々はなぜ「オンライン」や「バーチャル」への依存から離れてしまったのでしょうか。

ステージで演奏中のデューク・エリントンの肩から上が写った写真
デューク・エリントンの楽曲がパブリックドメインに。ところで彼はどの曲を作曲した?

ミッキーマウスの著作権保護期間が2023年に切れ、今年から自由に使えるように。でも、よく調べてから使わないと……。

長いタイトルが書かれた黄色い洋書を持っている写真
本のタイトルは長いほうが売れる? ブックカバーや帯の文化から見える日本独特の販売戦略

本のタイトルは長くなる傾向にあるそうです。なぜタイトルが長くなるのか、その理由が日本独特の「カバー」の文化から透けて見えます。

Adobe Fireflyで生成した、宙にキーワードやオブジェクトが集まったコンピュータグラフィック
「流行る流行語」と「流行らない流行語」の根本的な違いと、人々が求める「流行」

年末の風物詩とも言える「流行語大賞」。それもまた、時代の変化の中で意味合いや存在価値がが強く問われています。

大量の本が中央から渦を巻いて広がっている写真
なぜ働いていると本が“読めるようになる”のか

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と聞かれれば、「いや、わたしは働くようになってから本が読めるようになりましたが?」と答えます。その理由を説明します。

電球の周囲にグラフやイラストをペンでカラフルに書かれた写真
あなたは言語思考タイプですか?それとも、視覚思考タイプですか?

1960年代に人類を月に送り込んだアメリカ。それから50年以上過ぎても人類はまだ火星に辿り着けていません。

円盤投げの彫像の背から5輪のシンボルを遠くに見るモノクロ写真
コロナがトリガーに?日本企業にとってオリンピックは「旨みがない」

オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナー契約から日本企業が全て撤退。その理由は、東京オリンピックの失敗?

ファッションショウでこちらに向かって歩いてくる金色のドレスを着た女性が左側に写っている写真
キャンギャル終了・「容姿端麗」削除が象徴するのは「多様性の尊重」

東レ・ユニチカのキャンギャル終了、宝塚音楽学校の「容姿端麗」表現の削除。両者に共通するのは、ルッキズムやジェンダー問題とだけ捉えてはいけません。

女性がアニメを見ながら編み物をしている写真
人々はもう「推し活」にしかお金を使わない

1960年代に人類を月に送り込んだアメリカ。それから50年以上過ぎても人類はまだ火星に辿り着けていません。

ブルーのサイバー空間の中でロボットの指が上に向かって伸ばされている写真
生成AIに、Google検索の牙城は崩せない

ChatGPTに代表される生成AIがGoogle検索に揺さぶりをかけていますが、それでもわたしたちは「ググる」ことをやめないでしょう。

Adobe Fireflyで生成した、大きな虹色の記法が中心に浮かんだ画像
AIバブルは弾けたか? 今はAI時代の「始まりの終わり」

1960年代に人類を月に送り込んだアメリカ。それから50年以上過ぎても人類はまだ火星に辿り着けていません。

女性が燃えてる新聞紙を読んでいる写真
新聞が「エモい記事」を書く理由と、「エモい記事」ばかりにならないようにする方法

1960年代に人類を月に送り込んだアメリカ。それから50年以上過ぎても人類はまだ火星に辿り着けていません。

白人女性が二人並んでミーティングしている写真
企業はユーザー目線で思考できない・その原因と対策

企業にとって「ユーザー目線」での製品やサービスの開発は大事です。しかしわたしたちは、「ユーザー目線」とは何か、ちゃんと理解できているでしょうか?

虹色の傘を内側から撮った写真
ポリティカルコレクトネスは「訂正しながら前に進める」もの

ドラクエIIIのキャラクターの性別が「男女」ではなくなったことを手掛かりに、「ポリコレ」の本質について再考します。